中国・四国地方 日本で起きた地震

安政南海地震

1854年12月24日(安政元年11月5日)16時頃、四国沖から紀伊半島沖にかけての海域におけるフィリピン海プレートの沈み込みに伴う海溝型地震が発生。最大震度は推定6、地震の規模を示すマグニチュードはM8.4でした。この地震は後に安政南海地震と命名されています。

 

安政南海地震の概要

安政東海地震(M8.4)の32時間後に発生し高知県・徳島県の沿岸地域は震度6相当、紀伊半島の西部沿岸、大阪周辺、出雲地方は震度5~6相当の揺れとなりました。

地震を感じた葉には新潟県までと広く、津波は四国の太平洋沿岸や紀伊半島の潮岬以西で大きく波高は串本で15m、古座で9m、阿波の牟岐で9m、橘5.5m、土佐の久礼で16m、種崎11m、室戸3.3mにまで達しています。

大阪市中でも高さ1.9mの津波となりました。また津波は北米沿岸にまで達したと記録されています。この地震で室戸付近や串本は1m隆起し、逆に高知市の一部や和歌山付近の加太では約1m沈下しています。

なおこの地震の後に湯峰温泉と道後温泉の湯が止まり翌年5月頃に冷えた水が出始め翌々年には元に戻りました。

安政南海地震による被害

安政南海地震におる被害は中部地方から九州にかけての広い範囲に及んでいます。近畿周辺ではこの地震による被害を32時間前に発生した安政東海地震に折るものと分離するのが難しいとされています。

紀伊田辺領では死者24人、家屋全壊255、流失532、焼失441の被害があり和歌山領では流死者699人、家屋全壊・破損18,086、流失8,496、焼失24、山崩れ216ヶ所などを生じています。

広村では戸数399のうち125を流失するなど熊野以西の紀伊半島沿岸では家屋の大半を流失した村も多くあります。

阿波の被害も大きく、牟岐では家屋が全滅し死者20人、橘では流失家屋134を出したほか、小松島では1,000戸のうち倒壊・火災・津波などにより残ったものはわずか80戸でした。

また土佐では場内の天守閣や屋敷が倒壊し領内で死者372人、家屋全壊3,082、流失3,202、焼失2,481などの被害を出しています。大阪では津波が木津川と安治川を逆流し8,000の船を破損させ7,000人の被害を出す家屋倒壊の被害が生じています。

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