中国・四国地方 日本で起きた地震

芸予地震(1905年)

1905年(明治38年)6月2日14時39分、安芸付近の真下に沈み込んだフィリピン海プレートのやや深部で発生した最大震度6(推定)、地震の規模を示すマグニチュードM7 4分の1のプレート内地震が発生しました。

この地震は芸予地震と命名され死者11人、負傷者177人の被害を生じたとされています。

 

芸予地震の概要

この地震では広島市・呉市・江田島町・松山市・伊予市などで震度5~6相当の揺れとなりました。震源付近では1903年以来地震が多く1903年にM6.2を含む9回、1904年に3回、1905年に3回の地震が発生しています。

芸予地震の約5時間後にはM6.0の余震があり、半年後の12月8日にはM6.1とM6.2の2つの余震がありました。

芸予地震による被害

広島県・愛媛県の沿岸で被害が大きく広島県では死者11人、負傷者160人、家屋全壊56、半壊47などが生じ愛媛県では負傷者17人、家屋全壊8、半壊8などを生じました。

埋立地にあった広島監獄では第14工場の倒壊により死者2人、負傷者22人を出したほか、広島停車場で入り口付近の倒壊により11人の負傷者を出しています。

宇品は明治17年以降の埋立地で被害が大きく、江田島の海軍兵学校でも亀裂や建物被害がありました。愛媛県は三津浜で負傷者4人、家屋全壊1、半壊16のほかに堤防や橋の破損があり現在の伊予市である郡中でも負傷者4人、家屋全壊4のほか水道や鉄道の被害を生じました。

山口県でも倉庫や家屋などに軽い被害が確認されています。この芸予地震の最大の被害を生じた呉市は当時軍事施設があったため、被害の詳細は明らかにされていません。

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